「後藤明生 電子書籍コレクション」(アーリーバード・ブックス/Kindle Store)

2016年11月6日日曜日

 後藤明生(ごとう めいせい)一九三二(昭和七)〜一九九九(平成十一)、小説家。早稲田大学第二文学部露文学科卒、博報堂、平凡出版勤務を経て作家として活動。一九七七(昭和五十二)より季刊文芸誌「文体」を刊行、責任編集を古井由吉、坂上弘、高井有一とともに務めた。編集者であった村松友視の才能を見出して「文体」において作家として作品を掲載した。また一九八九(平成元)に近畿大学文学部の設立に尽力し教授に就任、一九九三(平成四)からは学部長を務めた。

 後藤明生さんはほとんど存じ上げていない作家でした。上記のことは何冊か読んだ上で調べて書いてみたものです。

 SS合評に観戦に来て下さってご挨拶した塚田眞周博さんが後藤明生さんの全集を出すプロジェクトに関わられていることは Facebook のポストで知っていたのですが読み始めたのはつい先月からでした。きっかけは売れ筋がアマゾンにより一方的に外されて大手出版社が公に抗議するなど耳目を集めている Amazon Unlimited です。「後藤明生電子書籍コレクション」、Kindle Store だけで出ているためか、「アーリーバード・ブックス」という出版社から出ていて KDP による個人出版ではない扱いなのか、現時点もキンドルアンリミテッドで読めるのです。自分もいったんキンドルアンリミテッドは解約しようとしていたのですが、どうせならば全集を読んでおかねばと思った次第。



 後藤さんは「内向の世代」というグルーピングを、近代文学史のなかでも受けて書かれることが多いのですがもともと批判的な文脈で用いられたこの呼称でもってとらえてよいのかと疑問を持ちます。まぁ後藤さん本人も「内向の世代」という言葉を仕方なしにという感じながら使われている場合もあるので目くじらを立てるほどのことではないのかまおしれません。でも私などが考えるに、刊行されていた雑誌の名から取って「文体派」などとしてはどうだったのだろうか、と。

 私は昭和三十七年に「関係」という小説を雑誌『文藝』に発表しました。いまでは一応それがデビュー作ということになっているようですが、会社づとめを辞めて書きはじめたのは昭和四十三、四年頃で、わたしは三十五、六歳でした。いわゆる"六〇年代"の終りから"七〇年安保"に至る時代で、わたしにとってはゴーゴリ病時代のエルミーロフとの戦いに次ぐ、第二の"政治の時代"であったといえるわけです。しかしわたしは相変らず、いかなる組織、いかなる団体にも所属しなかったばかりか、会社づとめまで辞めてしまいました。
「内向の世代」という呼び名を頂戴したのは、その頃か、あるいはもう少しあとだったかもしれません。
(『カフカの迷宮:悪夢の方法』より)

 この『カフカの迷宮』にあるくだりなど読むと分かるのですが文壇におけるグループ分けなどにあまり興味を示してはおられないようです。学生運動が下火になっていったあとに政治活動からは距離を置きどちらかというと人間の内面に目を向けるようになったという傾向が「文体派」に共通してみられる傾向だと言えるようですがそれは文壇における評価についても同じで重視するようなことではないという感覚でいらしたのかもしれません。これは例えば夏目漱石と森鴎外を「高踏派」だの「余裕派」だのといって同じグループに属させて考えることにさしたる意味はないようにおもわれることを考えると後藤さんの態度は当たり前のものといって良いのではないかという気がします。

 呼び名はさておき「内向の世代」ないし「文体派」のなかでも後藤さんの場合、文章はしばしば自分の興味が赴く方へ暴走するような様相を見せます。『首塚の上のアドバルーン』など手紙の体を取っているのに書かずもがなのことにまで筆が及んで止まらず読み手をおいてきぼりにしてひとりで勝手に話し続けているような印象を持ちます。

 そしてそれは微かにユーモアを匂わせているという文章であって、決して派手な作品ではない。多くの読み手を惹きつけて離さないような本ではないということになるのかもしれません。だが確実のその作品のファンは居て、でも紙の新刊で読めるのは講談社文芸文庫で出ている『挟み撃ち』『首塚の上のアドバルーン』、最新になって幻戯書房から出された『この人を見よ』など限られたものしかありません。紙の本の新刊販売が読み手のごく小さい需要を拾いきれないのであるならば図書館であったり ebook であったりが補い合って本が読める世界をつくるのが読み手として望ましい姿でしょう。アーリーバードブックスのウェブサイトに掲げられている「刊行に寄せて」を読むと後藤明生さん自身が読むことによって書くという態度を取られていた作家であり全集化されていつでも読めるようになっているに相応しいことが分かります。

「読む」ことと「書く」ことが千円札の裏表のようにメビウスの帯状に繋がっている、という独自の「千円札文学論」。それはまさに父・後藤明生の生活そのものであり、ひたすら読み、書いていた姿が今も思い出されます。
 しかし、人生の大半を捧げて「読み」「書いて」生み出された作品は、「読まれ」なければなりません。著作のほとんどが絶版となり、古書も価格の高騰で入手困難という憂うべき状況が、電子書籍というメディアの登場により新たな活路を見出せたことは、娘である私にとっても大きな喜びです。この選集が父を支えて下さった長年の愛読者の皆様へ再び届くこと、さらには父の作品との新たな出会いを果たす読者の皆様を新鮮な驚きへと誘うことを願ってやみません。
アーリーバード・ブックス 松崎元子
後藤明生・電子書籍コレクション より

 つい先月、雑誌「文体」で同じく責任編集者をつとめた高井有一さんの訃報がありました。高井さんと同い年であった後藤さんは冒頭の小伝にも書いたように一九九九年に既に亡くなられているのですが今の時代の作家のひとりであると強弁しても許されるのではないかと思います。今の時代の作家の作品であっても気を抜くと読めなくなりかねないという危惧と、きちんとひとが揃えば既存の出版社でなくとも作家の全集を世に問い続けられるという安堵を感じています。

 Kindle Unlimited を解約するつもりだ……というのは先に書いた通りなのですが、後藤明生コレクションはまだ未読がたくさんあって、気が向いたらまた登録してしまうでしょう。どうも最初の一ヶ月が無料期間であるのは登録初回に限らないようです。あまり登録と解除を繰り返したらそのうちアマゾンに怒られるのでしょうか。



挟み撃ち 後藤明生・電子書籍コレクション


カフカの迷宮: 悪夢の方法 後藤明生・電子書籍コレクション (アーリーバード・ブックス)


首塚の上のアドバルーン 後藤明生・電子書籍コレクション