『逃げるは恥だが役に立つ』 海野つなみ (講談社/honto)

2016年12月27日火曜日

 私はテレビドラマを観る習慣がなく、数年にいちどというような間隔でごくたまに毎週楽しみにするようなドラマが現れるという程度です。それがこの数週間、常に頭の片隅でドラマのことを考えている……という状態に陥りました。先日最終回を迎えた、新垣結衣さんと星野源さんのメインキャストのTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で、これは何なんだろう……と不思議に思っていました。

 主役の新垣結衣さんがとにかく可愛い。そもそも例え相手が星野源であるにせよ新垣結衣に一方的に好きな気持ちをぶつけられるなどということがあって良いのか。そんな心理的にダメージの大きい場面を現実に映像化してしまって良いのか。そんなことをぐるぐる考えてしまうほど魅力的なわけです。だがそれだけで五十歳前のおっさんがひたすらテレビドラマのことを考えているなんて現象が起きるのだろうか。

 このドラマはとても人気が出たわけですが、それは単に視聴率がどうとか、恋ダンス踊ってみた動画がやたら Youtube に挙げられるとかいう現象だけではなく、このドラマについてツィッターやフェイスブックなどのSNS、ブログなどでいろいろ語るひとが多いことに現れています。自分などは他愛もなく今日のみくりさんがどうとか平匡君はあーだとかを書いていたりしましたが、どうもまとまって書きたくなりました。


 主役は前述の通り森山みくり(新垣結衣)。大学院を出たが就職活動がうまくいかず、更に派遣切りに遭ってしまったところに家事代行の話が来る。行った先がもうひとりの主人公で勤めのシステムエンジニアである津崎平匡(星野源)。ふたりは依頼主と家事代行者としてうまく行きはじめるのですが、これを継続させるためにみくりさんが契約結婚ということをふと口にし、平匡君もそれを受け入れます。偽装から始まる恋愛ドラマですが、星野さんが身近に居そうな内向的で結婚に興味なさげなITエンジニアを違和感なく演じていました。最初の過度なコミュニケーションを冷たく拒む感じも、みくりさんへの好意に気がついてからの暖かい感じも良かった。平匡君役は福山雅治さんだの西島秀俊さんだのという身の回りに居そうのない二枚目俳優では徐々にみくりさんに心を開いていく演技に現実味が出にくかったかもしれず星野さんは丁度良いところをみごとに演じらていました。

 新垣結衣さんが可愛いことは既に書きましたが大事なことですから何度でも書きましょう。ここまでラブコメディを魅力的に演じられるともう何も言えない。綾瀬はるかさんでもこういう役は出来るかもしれません。もしかしたら石原さとみさんや桐谷美玲さんでも出来るかもしれないが北川景子さんだともう綺麗過ぎる。そんなつまらないことを考えていましたが結局「新垣結衣がベスト」という結論にたどり着く。

 主役以外の配役もハマっていて皆が魅力的。平匡君の上司役の古田新太さんの安定感、みくりさんの叔母で準主役というべき石田ゆり子さんの素敵さ。大谷亮平さんはこのドラマで初めて知った役者さんですがイケメンで恋人を切らさないけど内面は誠実さがあるという役をきちんと演じていたし、藤井隆さんがコメディドラマに出て脇を固めているというのはかつて吉本新喜劇での彼の怪演をテレビで楽しみにみていた元大阪在住者としては嬉しいものでした。

 脚本はラブコメディであると同時に社会的なテーマがちゃんと提示されていて、作中の登場人物は不器用かもしれないけれど真摯にそれに向き合っていく。誰からも必要とされていないという疎外感からの再生。主婦の仕事とその対価のありかた。LGBT。恋愛と歳の差。

 このテレビドラマの脚本家は野木亜紀子さんですが有川浩さんの『図書館戦争』や松田奈緒子さんの『重版出来!』のドラマ脚本を担当されているということは調べて知ったのですが何しろ私がドラマを見ないのでそれらの作品の良し悪しもよく分かっていない。ならば『逃げるは恥だが役に立つ』は原作も読んで判断してみたい……となり、あっさり ebook を既刊全巻購入してしまいました。今回買ったのは honto.jp ですが1巻から8巻までセットで少し割引きになっているものがあったのです。なお私は漫画を十代二十代の頃のようには読まなくなっており、紙であれ画面であれ長い漫画を買って読んだのは久しぶりです。


 八巻一気に読んでみると原作の細かいエピソードを丁寧にドラマ脚本が再現していることが理解できました。例えば。

 ドラマ最終話の青空市のシーン、みくりさんが平匡君と話していて、皆の前なんだけれど思わずみくりさんが平匡君に抱きついて「ありがとう」「だいすき」と告げる場面がありました。

 それまで一度近づいたはずのふたりが、正式に平匡君がプロポーズしたことで逆に行き違いが生じてしまいます。ご飯を用意する段取りのちょっとしたすれ違いであったり、家事の分担について噛み合わなかったりでぎくしゃくしてする。ついには「こんな面倒臭いことをいう私です、やめるなら今です」とまで言ってしまいみくりさんは自己嫌悪に陥るのだけれど平匡君は部屋に閉じこもったみくりさんに「もうちょっとふたりでがんばってみましょう」と声をかける。それが伏線。

 成功した青空市の様子を眺めながらふたりで話しをする。みくりさんが「派遣の時から小賢しくてウザがられて切られたりしたけど、青空市の仕事では役に立ったみたい」と話すのに平匡君が何気なく「小賢しい、って相手を下に見て言う言葉でしょう? 僕はみくりさんを下に見たことなんてないし、小賢しいとも思ったことありません」と言う。その気持ちに触れて、みくりさんの気持ちが弾ける。最終話に相応しい、良いシーンでした。

 原作にも「ありがとう だいすき」のシーンがあるのですが、少しだけ違います。原作では青空市の前はみくりさんと平匡君の関係はごく良好なのでその場面に至る流れは穏やかです。青空市のあとふたりで食事をしている時に平匡君はドラマと同じようなことをみくりさんに言います。みくりさんが平匡君の言葉で自分を小賢しいとおもっていた、その「呪い」から解き放たれたと感じてあとでひとりで泣いてしまう。

 テレビドラマの脚本が原作と違うのは青空市の成功が、登場人物達を縛っていた様々な「呪い」から解き放つカタルシスの場となるよう一番の見せ場として描かれていたところでした。しかし主人公が思わず「ありがとう だいすき」と恋人に告げるに至るこころの動きは原作の意図をきちんと汲もうとしています。

 一方で原作をなぞりながらも脚本がより物語が活きるようにした箇所もあります。風間君がひとりで回想する場面、学生時代の最初の彼女に「あなたはかっこよくてモテるけど私は地味で可愛くない。釣り合わないのが辛い」と言われて別れてしまう、という話しが出てきます。自分に自信がない、という自分の気持ちばかり気にして僕のことはなにも思いやらないことに腹が立った。だから別れた、という。

 これがドラマでは酔いつぶれてしまった平匡君を石田ゆり子さん演じる百合さんと大谷亮平さん演じる風間君が送っていくときに、風間君が百合さんになんとはなく話す、という形になっていました。それを平匡君も聞いてしまう。平匡君はみくりさんの気持ちを思いやっていない自分に気づく。原作では風間君が自分はちゃんとした恋愛をしてきていないな……と嘆息するだけなのですがドラマでは平匡君にも影響を与えるようなエピソードとなるよう使われていました。

 まぁ、他にも書けばキリがないのですが脚本の良さを再確認できました。ふたりで餃子を作るシーンも、みくりさんが妄想のなかで思わず表に飛び出して断崖絶壁で「平匡さんがー、可愛すぎる件についてー!」と絶叫するシーンも結構な再現度で映像化されているんだというのが分かったのでやはり原作も読んでみて良かった。



【全1-8セット】逃げるは恥だが役に立つ