『マニフェスト 本の未来』 Hugh McGuire, Brian O'Leary 編

2013年3月17日日曜日

 この本自体がプロジェクトの成果物ともいえるものです。訳本としてもそうですし、原書の作成自体が新しい製本プロジェクトの、そのひとつの実例として書かれています。Hugh McGuire による前書きにもそう謳われています。

『マニフェスト 本の未来』は本であると同時に新出版プロセスの実証例でもあります。未来の出版では刊行の後も執筆が続いていきます。読者が出版プロセスの重要な一部分だからです。もしかしたら、出版が本当に始まるのは本の刊行後なのかもしれません。感想や意見や批判などのフィードバックがある方は、オンライン版の本書に書き込んで下さい。アドレスはbook.pressbooks.comです。

 これは新しい意見ではないように、私には思われます。私が『猫間川をさがせ』という著作を書き始めた時同じようなことを考えて執筆開始に踏み切ったからです。つまり、充分に取材が済んでいなかったがまず書き始めて、リアクションを得られたらそれが作品に反映されていく、という考えです。実際、プログ形式で書き始めた本作の各章にはコメントでいろいろな情報を頂くことが出来、それは後に e-book として出版する際の最終の改稿に影響を与えました。もっと言うと、出版以降もコメントは頂き、何らかの影響を与え続けられているのです。

 井伏鱒二さんが『山椒魚』の末尾を削ってしまわれた時に私はもう『山椒魚』を読んでいました。その時えらく話題になり、賛否両論多く、どちらかというとどうも非難する意見の声の方が大きかったようなのですが、井伏さんはどうも出版に関する制約に縛られていなかったのではないか……などと今になってうがった見方をしてしまったりします。
 この作品はまず BinB で読み始めました。発売開始前に無料で一部が読めたから、です。無料版を読み終えた時には e-book もリアルの書籍も発売されていましたので、Kinoppy で購入しました。ちなみに Kindle store では \1,000、BinB では \1,050、紀伊国屋では \1,100 で出ており、なんでショップが違うだけでこんなにブレるのかよく分かりません。一番高いところで買ってしまったことになりますが、理由は出先のソフトバンクショップで順番待ちをしていた時に買う気になった時に iPhone で一番購入が簡単なのが紀伊国屋の Kinoppy だったからです。

 最近 e-book の拡販について議論することがあったのですが、こういうガジェットに詳しくない方に使ってもらうにはスマートフォンなり携帯電話から簡単にダウンロードできるのが一番ではないか、という話が出ました。以前 Kinoppy で本を購入しようとして「使用可能なメモリが少なくなっています。アプリを終わらせてから再度購入操作をして下さい」と出たので PC で買うことにした、という話をここで紹介したことがあります。しかし PC で買ったものをスマートフォンやタブレットで読む、という二度手間を放置していては手にとってもらうための壁が高くなってしまう。それだけでも読んでもらうのにひと苦労することになる……ということに改めて気が付きました。今回、出先での iPhone の購入はスムーズに出来ました。wi-fi が入る場所でしたので、まぁ AppleID のパスワードが盗まれないかとか別の気遣いはありながら、ダウンロード自体は問題なく出来てすぐ読み始められました。BinB でもその場でダウンロードできたでしょうが……申し訳ない、購入する時だけではなく、読む度にいちいちログインしなければならない事を思うと手が延びませんでした。


e-book とウェブは同じもの

話を『マニフェスト 本の未来』に話を戻します。e-book が執筆の過程ですらインタラクティブに読者との会話に影響を受け得る、という認識については(やはりそれで良いのか)というような安心感を覚えました。例えば下記もそうです。

 デジタル作品が伝統的な意味での完成品として存在しえるのは非常に短い時間で、人気作家の場合は数秒かもしれません。
Kindle版のeBookはダウンロードされて読者がハイライトを入れた瞬間に変化します。次の人がダウンロードする同じ本は、「完成品」にコメントやハイライトといった欄外注が追加された新版の電子本かもしれません。

( 『7. デジタル時代の書籍デザイン』 クレイグ・モド Craig Mod より) 

 それよりも更に(そうか、別にそこまで言っても良いんだ)と感じた指摘が別にありました。

 よく見てみると、eBookの素材は紙の本よりもWebサイトに似ています。もっと言えばeBookとWebサイトはほとんど同じです。eBookはHTMLという、Webサイトと同じプログラム言語(マークアップ言語と呼ぶのが好きな人もいます)により構成されています。

( 『8. 本とWebサイトがひとつになる理由 ヒュー・マクガイア Hugh McGuire より)

 この当たり前の事実を前にすると、ウェブサイトにおいては詳細なアクセス分析ができるのに e-book では購読者分析が同じように出来ていないとすれば、それは e-book のダウンロード数で成功に値すると言える作品が数えるほどしかない理由はそこにもあるように思います。実際、e-book の出版に携わる現場では購入者の居住地区や年齢、性別などの情報が押さえられていて、仮説に対する検証や次の販売促進の策定に使われているのでしょうか。

 全く出来ていないことはないのでしょう。ただ現在既に作家がその情報を得て分析できるという状況が生まれている、ということの方が重要ではないでしょうか。ただ実際にどうなのか……先日藤井太洋氏のインタビューを読みましたが、Kindle store で「売れていく」という事実は分かるがどうやって本にたどり着いたのかほとんどが分からない、という発言がありました。また「Koboの場合、3割くらいはトラックできていた」と言われていたので、その程度なのかという感想を持ちました。

電子書籍が切り開く個人出版の新たな地平~『Gene Mapper』作者・藤井太洋氏インタビュー~ (1/3)(BLOGOS編集部) - BLOGOS(ブロゴス) 電子書籍が切り開く個人出版の新たな地平~『Gene Mapper』作者・藤井太洋氏インタビュー~ (1/3)(BLOGOS編集部) - BLOGOS(ブロゴス)


 本を書く、というのは個人作業のように思われるかもしれませんが実際は大小のプロジェクトチームにより成されているのが実際の姿です。優れた文章を書けばそれが作品になるのではなく、校閲・校正を経ますし、優れたイラストや写真、装丁を得なければ良い本にはなりません。本を作るチームには誰がどのような本を読んでいるかという情報も必要であり、e-book であっても変わりありません。e-book とウェブが同じものだ、というのはツールが共通だ、ということであり個人で書くブログがそのまま本に成り得るのか、というと必ずしもそうならないように私は読み解きました。


本のソーシャル化


 もうひとつ、本の中は Google でウェブを検索する時のように全文検索できてほしい。小説などについては当てはまらない場合もあるでしょうが、本を探すという行為の中で本の全文の中を特定の語句で検索したい。文献を探す、というような使い方を私も良くしますが、Google と Amazon と紀伊国屋と Booklive と……とひたすら個別に検索せねばならず、それが e-book のバッケージ化と販路によるものであるならば、これもまた壊してしまわねばならない壁があるということになりそうです。

 読者と本との出会い、というところでは別の章にも興味を持ちました。

 私は昨年ふと、読んでいる本を foursquare(自分が居る場所を「チェックイン」して共有するサービスであり、「チェックイン」によりバッジを取得したりその場所の「メイヤー」の地位を取得するゲーム) や untappd(飲んでいるビールの銘柄とその評価を共有するサービス)のようにアプリからでもウェブからでも読んでいる本を、紙の本であれ e-book であれ共有するサービスを作ったら新しい読者と本との出会いを作れるのではないか、と考えました。言い訳から入ると私はプログラムに関しては素人ではないのですが「Web屋」ではないことが理由でそのサービスを実際に作ってみるところまで行っていません。

 私の発想に近いサービスが『12. 読書システムの垣根を越えて:ソーシャルリーディングの今後』でトラヴィス・アルバー Travis Allver とアーロン・ミラー Aaron Miller によって紹介されていました。 bookglutton.com や readsocial.net がそれです。ブックグラットンは読者のグループを作れるようなサービス、リードソーシャルは作品へのコメントを可能にするサービス……でしょうか。今回サインアップしたところで思ったように使えるのかこれから確かめる、といったところです。ただ、私が思ったようなサービスとはちょっと違うところを狙っておられると感じています。





 まだ無いのなら日本発で作りたい、という気持ちがまた湧いてきています。独自の文字と版組を知っている我々だからこそ、英語圏だけでなくアジアやイスラム圏、ロシア、アフリカなどもカバーし得るサービスを作り得る気がしているのです。