投稿Web小説『Sohzine.jp』Vol.3 (樹都、天野雅、北見遼、阿川大樹、宇佐美ダイ、かたやま伸枝 著/騒人選書)

2014年5月30日金曜日

 note、というサービスがリリースされ一部では注目を集めています。ケイクスが4月7日にリリースした、文章や画像、音楽、動画を発表できるブログサービス的なサイトです。注目を集めているのは発信する方にも受け取る方にもシンプルで美しいインターフェースだけでなく、発信するコンテンツを有償設定する機能が装備されているところにもあります。

 既にブログと Paypal などとの組み合わせ、Kindle Direct Publishing (KDP)、Google Play など個人が自ら生み出した作品を世に問う仕組みはあります。ここで取り上げたことのある Pressbook や Voyager BinB も同様です。それに新たな選択肢が加わりました。

 このように小規模でも「出版」できる仕組みが整えば整うほど、その作品の質をどう保つのかということが私などにとっては興味の中心となります。それなりの資本と組織でもって出版されているものの延長として生まれた ebook であれば当然編集において複数の目を経て高い質を保たれているのでしょうが(実際には本当にきちんとした仕事をしているとは思えない出版物もたまにあって「当然」という言葉が皮肉に聞こえそうになるので困ってしまいますが)個人でも出版できるだけの仕組みが用意された時その作品の品質を保つことはできるでしょうか。実際 KDP で出ている商品にも「商品」と呼ぶには随分と雑な……という印象を持ってしまうものが一定数はあります。京極夏彦さんなどは執筆時点で本としての版組まで意識して書かれているような話しを聞いたことがありますし、昨年『Gene Mapper』で注目を集めた藤井大洋さんのインタビューでは『Gene Mapper』を書かれるまでに「出版と言う事業における執筆以外の部分は基本的にすべてやった経験があった」と仰られており、個人で編集までできるスキルをお持ちの方はおられます。おられるがそれはごく僅かである、というのが現実ではないでしょうか。


 それらを目にすると小規模な創作の現場にも編集を行うチームがあって作家と一緒に作品を送り出すことが一般的になってほしい。また、それが経済的に成り立ってほしい。そう願う気持ちを持ちます。

 その実例を探していて「騒人」というサイトを知りました。「知った」というのも失礼な書きようで、沿革を辿るとその始まりはニフティサーブの「本と雑誌のフォーラム( FBOOK )」にあるという歴史あるもの。ebook のラインナップも充実したものです。近刊であった小説誌を紀伊國屋書店 Kinoppy で購入して読みました。
購入は騒人のサイトの書籍別のページから。その ebook がどのサービスで購入できるのかリストになっています。今回は Kinoppy で読むことにしました。

 iPad で騒人のサイトのリストから紀伊國屋書店のサイトに飛んで購入します。

編集のチカラ

読み切り小説、連載小説、エッセイ、いずれも冒頭にあらすじの紹介が挿入する体裁で統一されており単に投稿されたものを寄せ集めて雑誌にしたのとは趣を異にしています。個々の作品について取り上げることはここではしないのですが一点を挙げると北見遼さんの『ミドリの錆』という読み切り小説。的外れな読後感かもしれませんがシャーロット・アームストロングの『毒薬の小瓶』を連想しました。途中までどこか不安な空気がずっと漂っているのがあるページでさあっと霧が晴れていくような感じにどこか共通点を感じたのです。

 他の作品も含めて印象がよくない作品はなかったのですが私は本へのいらぬ選り好み(先入観ともいいます)を持っているので騒人という媒介を見つけなければこれらの作品にたどり着いていたかははなはだ怪しいと言えます。編集というキーワードだけでなくマーケティングの要素も含む話しではありましょうが私が作品たちに巡り会ったことと丁寧な編集を経ていることとは無関係ではないように感じました。プロデュース力がある、とでも言いかえられるでしょうか。

 こと ebook に限った場合商業的な意味で成功例と呼べるものがあるかというとごく限られた例しかまだないと認めざるを得ません。その理由はひとつではないでしょうが書き手の力量に加えてその作品を読み手の視点から最適なものに磨き上げる作業、読み手に届ける作業が質高くそろっているかという問いがその理由のひとつに入っているだろうとおもいます。規模は様々であれど、それらの作業を運営できるだけの力量を技術的にも金銭的にも持っている……という組織がいくつもあって、かつ組織同士がゆるやかに結びついているような状況が生み出せれば ebook というものは従来の本の別形態といった枠をはみ出せるのではないでしょうか。

 などと書いてどう「枠をはみ出せる」のかというビジョンについて説明せよと言われると考え込んでしまう程度の思いつきではあります。いろいろな分野を得意とする編集の場があって書き手を最適な編集者のところへ自然と導ける、だとか。編集組織の周りにコミュニティができていてそのコミュニティのなかでお金が集まり書き手や編集者を育てていくことができる、だとか。うーん、そんな程度のものではないはずです。

 とにかくも今まで『トルタル』や『群雛』を興味をもって読んできたのもプロデュース力に惹かれている部分もあるといえるだろうとおもいます。自分にとってそれにまたひとつ加わった、ということです。

 あと……「騒人」の「電子書籍一覧」ページをみると「原稿募集中!」になっているカテゴリーが結構あるのですね。これをみていて自分も隙間なカテゴリーに原稿を書いてみていただこうか、という気になってきました。実は冒頭で触れた note ででも発表しようかというかつてブログに書いていた文章がありました。方針転換しようかとおもいます。