雑誌、というものについて書いてみたいとおもいます。つまり「定期刊行物」ですね。
ふとおもって "Magazine" という英単語の語源を見てみたところアラビア語の「倉庫」や「店舗」を意味する「アル・マフザン ( المخزن ) 」という言葉だとありました。倉庫から転じて「弾薬庫、弾倉」という意味で英語としては意味を持つようになったそうです。銃の弾倉から次々に弾丸が発射される様が定期刊行される印刷物を表す言葉として使われるようになったのでしょうか。デアゴスティーニという会社の出す、様々なテーマの定期刊行シリーズがありますが、あれなど「弾倉」であり蒐集すると情報の「倉庫」と化すイメージが持てます。
定期刊行するものについてネットワーク上においては現在ブログとメーリングリストがその役割を担っているといえます。ブログでも多くの読者がいるようなサイトであればクリック広告での収入が発生するでしょうし、有料のメーリングリストは年間購読予約して定期的に届く雑誌のようなものです。
編集者がいて、複数執筆者が関わっているようなブログサイト、「TechCrunch」や「GIGAZINE」、「@nifty:デイリーポータル Z」などはネット上の「雑誌」と言えるかもしれません。これらのサイトの RSS を取得して読んでいるというのは今までの雑誌の「定期購読」に近いかもしれない。
またメーリングリストは登録、有料の場合は購入すれば、定期的にメールとして届くということになります。
こういった形態では成功例も出てきているわけですが、私などは実はメールマガジンについてはあまり好きではなく、積極的に購読などもしてはいません。普段 HTML 形式でのメールは使わないようにしていることがその原因にひとつかもしれない。通常のメールであれメールマガジンであれテキストとして見た時になんとも味気なく、下までスクロースする根気が続かないというようなことがあるかとおもいます。雑誌を読み進める感じにならないわけです。
ブログサイトについても、先ほど挙げたようなサイトを見に行くのは、わざわざ見に行くよりも、RSS からよりも、ソーシャルブックマークや SNS で話題になっているのを知って見に行く事の方が圧倒的に多いような気がします。それが「定期刊行物」としての雑誌の目指す形かというと、まだまだ先があるような気がするのです。今までと違う在り方というのを否定する訳ではない。しかし、雑誌という形態が今まで磨いてきたカタチの良い部分を取り出したものが出来はしないだろうか、というもやもやとした気持ちがあります。
現在読める、いわゆる "e-magazine" の例として、私がお世話になっている TIAO Publishing が手がけた『MANDA-LA』の創刊号を取り上げます。端末は iPhone4、リーダーはVoyagerBooks。PC 端末で購入行為をした場合を再現してみます。
ボイジャー社はご存知の方はご存知、電子出版としては既に老舗です。最近でこそ e-book のフォーマットは EPUB3 だのという話になるのですが、長く使われてきた .book 形式のフォーマットもボイジャーが生み出したものです。
ボイジャーストアに接続して、例えば責任編集者である村山茂樹さんのお名前で検索します。
購入手続き画面に進むと、アカウントのIDとパスワードでの認証を求める画面が出てきます。
数年前まではストアは「理想出版」というサイトでクレジットカード認証しかなかった記憶があるのですが、現在はアカウントに Paypal の情報をリンクしていて決済の手間はかなり簡単になったのではないかとおもいます。ちなみに『MANDA-LA』の創刊号はフリーなので手続きはしますがダウンロードに費用はかからないことになります。
購入手続きが済んだら、今度は iPhone4 でリーダーアプリである Voyager Books を開きます。
下部のメニューで真ん中の「オンラインショップ」をタップ、出た画面で上部の「ダウンロードセンター」をタップすると購入手続きをした書籍が見えるはずです。ここで iPhone へのダウンロードを改めてします。
ダウンロードできたら画面下部のメニューの左、「マイブック」をタップすると読める本がリストで表示されます。
見ての通り、マイケル・サンデルの『正義』の訳本などいわゆる「単行本」としてつくられた e-book と特に代わりがある訳ではありません。現時点では同じように買うことになります。「読む」ボタンをタップして本を開きます。
本を開いた状態で、下に、あるいは上に指で画面を引っ張るとメニューが出てきます。この画面は「☓」が本を閉じる、あとは表示の回転、ページ表示、改ページ。この黒いメニュー部分を左に指で引っ張ると、次のメニューが出てきます。
もう一度スライド。その書籍のなかでどこを読んでいるかの位置表示。スライドしてそのページに移動することもできる。
なお、読んでいく時にメニューの矢印マークタップで改ページもできますが、画面を左右にスライドする動きでページをめくるようになっています。私としては画面左右下部分のタップで素早くページをめくってほしいと感じているので、VoyagerBooks の動作は若干緩慢に私には見えてしまいます。
先にも書きましたがこの『MANDA-LA』の場合体裁が雑誌を踏襲していますが、購入方法にせよ、見た目にせよ、e-book と違うかと問われると考えてしまうところではあります。ここで取り上げたのは、今出来ている「雑誌」のひとつの例としてです。
雑誌というのは最初に述べたように「定期刊行物」という側面ともうひとつ「コミュニティの構成要素のひとつ」という役割も持っているのではないかと考えています。
例えば私なども世に言う「文系」に分類されるであろう人間ですが、虫や動植物を見ているのが大好き。子供の為といいながら熱心にカブトムシやクワガタの世話をし、季節ごとに庭に現れる虫や花を眺め、不思議な生態の動物について話を聞くのもとても楽しい。
天体を見るのも面白い。化学や数学で新しい発見があったと聞くと興味を持ち、分かる分からないにかかわらず調べてしまう。そういうひとはたくさんいるのではないでしょうか。
実際の雑誌でいえば「National Geographic」誌や、子供向けながら大人もつい釣り込まれてしまう「月刊たくさんのふしぎ」を目の前にした時のような(なんかおもしろそうだぞ)という感覚と同系のものを『MANDA-LA』に感じました。そんな感覚が好きな人が集まるコミュニティを作るとしたらこのような雑誌形態のコンテンツが役割を果たし得るということになるのではないか。
紙であれ e-magazine であれ、つくり上げるのに労力を要する訳ですが、紙であれば必要になる紙代やインク代、印刷の手間、在庫の置き場所が不要なことはブログ、メールマガジン、 e-magazine といった新しく現れた形態のアドバンテージであることは周知のことです。更に一歩進んだ面白そうなカタチを生み出す可能性がここにあるとおもいたい。
というようなことを書くわけですが、とどのつまりは(村山さん面白かったのでまた書いて下さい)と言いたいための言い訳に過ぎないような気がします。
ふとおもって "Magazine" という英単語の語源を見てみたところアラビア語の「倉庫」や「店舗」を意味する「アル・マフザン ( المخزن ) 」という言葉だとありました。倉庫から転じて「弾薬庫、弾倉」という意味で英語としては意味を持つようになったそうです。銃の弾倉から次々に弾丸が発射される様が定期刊行される印刷物を表す言葉として使われるようになったのでしょうか。デアゴスティーニという会社の出す、様々なテーマの定期刊行シリーズがありますが、あれなど「弾倉」であり蒐集すると情報の「倉庫」と化すイメージが持てます。
定期刊行するものについてネットワーク上においては現在ブログとメーリングリストがその役割を担っているといえます。ブログでも多くの読者がいるようなサイトであればクリック広告での収入が発生するでしょうし、有料のメーリングリストは年間購読予約して定期的に届く雑誌のようなものです。
編集者がいて、複数執筆者が関わっているようなブログサイト、「TechCrunch」や「GIGAZINE」、「@nifty:デイリーポータル Z」などはネット上の「雑誌」と言えるかもしれません。これらのサイトの RSS を取得して読んでいるというのは今までの雑誌の「定期購読」に近いかもしれない。
またメーリングリストは登録、有料の場合は購入すれば、定期的にメールとして届くということになります。
こういった形態では成功例も出てきているわけですが、私などは実はメールマガジンについてはあまり好きではなく、積極的に購読などもしてはいません。普段 HTML 形式でのメールは使わないようにしていることがその原因にひとつかもしれない。通常のメールであれメールマガジンであれテキストとして見た時になんとも味気なく、下までスクロースする根気が続かないというようなことがあるかとおもいます。雑誌を読み進める感じにならないわけです。
ブログサイトについても、先ほど挙げたようなサイトを見に行くのは、わざわざ見に行くよりも、RSS からよりも、ソーシャルブックマークや SNS で話題になっているのを知って見に行く事の方が圧倒的に多いような気がします。それが「定期刊行物」としての雑誌の目指す形かというと、まだまだ先があるような気がするのです。今までと違う在り方というのを否定する訳ではない。しかし、雑誌という形態が今まで磨いてきたカタチの良い部分を取り出したものが出来はしないだろうか、というもやもやとした気持ちがあります。
VoyagerBooks の使い勝手
現在読める、いわゆる "e-magazine" の例として、私がお世話になっている TIAO Publishing が手がけた『MANDA-LA』の創刊号を取り上げます。端末は iPhone4、リーダーはVoyagerBooks。PC 端末で購入行為をした場合を再現してみます。
ボイジャー社はご存知の方はご存知、電子出版としては既に老舗です。最近でこそ e-book のフォーマットは EPUB3 だのという話になるのですが、長く使われてきた .book 形式のフォーマットもボイジャーが生み出したものです。
ボイジャーストアに接続して、例えば責任編集者である村山茂樹さんのお名前で検索します。
購入手続き画面に進むと、アカウントのIDとパスワードでの認証を求める画面が出てきます。
数年前まではストアは「理想出版」というサイトでクレジットカード認証しかなかった記憶があるのですが、現在はアカウントに Paypal の情報をリンクしていて決済の手間はかなり簡単になったのではないかとおもいます。ちなみに『MANDA-LA』の創刊号はフリーなので手続きはしますがダウンロードに費用はかからないことになります。
購入手続きが済んだら、今度は iPhone4 でリーダーアプリである Voyager Books を開きます。
下部のメニューで真ん中の「オンラインショップ」をタップ、出た画面で上部の「ダウンロードセンター」をタップすると購入手続きをした書籍が見えるはずです。ここで iPhone へのダウンロードを改めてします。
ダウンロードできたら画面下部のメニューの左、「マイブック」をタップすると読める本がリストで表示されます。
見ての通り、マイケル・サンデルの『正義』の訳本などいわゆる「単行本」としてつくられた e-book と特に代わりがある訳ではありません。現時点では同じように買うことになります。「読む」ボタンをタップして本を開きます。
本を開いた状態で、下に、あるいは上に指で画面を引っ張るとメニューが出てきます。この画面は「☓」が本を閉じる、あとは表示の回転、ページ表示、改ページ。この黒いメニュー部分を左に指で引っ張ると、次のメニューが出てきます。
ちなみに「T-Time HELP」をタップして選ぶと上記のようなメニューについて、より詳しい説明が表示されます。
メニューを横にスライドします。今度は縦書き表示と横書き表示の切り替え、フォントの大きさ指定が出てきます。
更にメニューをスライドします。輝度の調節。
もう一度スライド。その書籍のなかでどこを読んでいるかの位置表示。スライドしてそのページに移動することもできる。
なお、読んでいく時にメニューの矢印マークタップで改ページもできますが、画面を左右にスライドする動きでページをめくるようになっています。私としては画面左右下部分のタップで素早くページをめくってほしいと感じているので、VoyagerBooks の動作は若干緩慢に私には見えてしまいます。
ファンレター
先にも書きましたがこの『MANDA-LA』の場合体裁が雑誌を踏襲していますが、購入方法にせよ、見た目にせよ、e-book と違うかと問われると考えてしまうところではあります。ここで取り上げたのは、今出来ている「雑誌」のひとつの例としてです。
雑誌というのは最初に述べたように「定期刊行物」という側面ともうひとつ「コミュニティの構成要素のひとつ」という役割も持っているのではないかと考えています。
例えば私なども世に言う「文系」に分類されるであろう人間ですが、虫や動植物を見ているのが大好き。子供の為といいながら熱心にカブトムシやクワガタの世話をし、季節ごとに庭に現れる虫や花を眺め、不思議な生態の動物について話を聞くのもとても楽しい。
天体を見るのも面白い。化学や数学で新しい発見があったと聞くと興味を持ち、分かる分からないにかかわらず調べてしまう。そういうひとはたくさんいるのではないでしょうか。
実際の雑誌でいえば「National Geographic」誌や、子供向けながら大人もつい釣り込まれてしまう「月刊たくさんのふしぎ」を目の前にした時のような(なんかおもしろそうだぞ)という感覚と同系のものを『MANDA-LA』に感じました。そんな感覚が好きな人が集まるコミュニティを作るとしたらこのような雑誌形態のコンテンツが役割を果たし得るということになるのではないか。
紙であれ e-magazine であれ、つくり上げるのに労力を要する訳ですが、紙であれば必要になる紙代やインク代、印刷の手間、在庫の置き場所が不要なことはブログ、メールマガジン、 e-magazine といった新しく現れた形態のアドバンテージであることは周知のことです。更に一歩進んだ面白そうなカタチを生み出す可能性がここにあるとおもいたい。
というようなことを書くわけですが、とどのつまりは(村山さん面白かったのでまた書いて下さい)と言いたいための言い訳に過ぎないような気がします。
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