『胡堂百話』野村胡堂( Kindle 版、サキ出版)

2014年10月11日土曜日

 本には絶版ということがあります。

 復刊ドットコムというサービスがあるくらいで一部の読者がある本を強烈に欲するということがあるのですが、その需要の小ささと製本から販売までの供給のためのコストというものが釣り合わず手に届かないということがしばしばあります。

 私の場合もそういう書物が何冊かあるのですがそのひとつの野村胡堂さんの『胡堂百話』という随筆集がありました。私は中公文庫から出ていたのを持っており学生時代から繰り返し読んでいましたが一人暮らしを始めたあたりで実家に置いてきたのか持って来たのを紛失したのか、気の迷いで古本屋に売ってしまったのか分からなくなってしまっていました。

 改めてアマゾンで検索してみると出てくるのですが中古品しか出てこない。絶版にされているようです。なんとなく中古品には手が出ず、ただ(あんなに絶品な随筆集をなぜ出さないのか……)と内心思っていました。

 野村胡堂さんというと『銭形平次捕物控』の作者です。この銭形平次作品を集めた『銭形百話』という本が刊行されており、随筆も『胡堂百話』で出してはどうか、という企画に対し集めた随筆に書き足しをして百話にしたのが『胡堂百話』です。郷土の後輩である石川啄木のこと、同輩達──金田一京助や特に夭折した原抱琴のこと、新聞記者としてインタビューした多くの作家や政治家たちのこと、クラッシック音楽のレコード蒐集のこと、そして銭形平次について。そのなかには 明治から昭和にかけての東京の様子が垣間見えて、北杜夫さんの『どくとるマンボウ追想記』と並んで見知らぬ東京のイメージを私の中でつくっていました。

 また野村さんの長男と長女、次女はいずれも夭折されているのですが、亡き子供たちについて書かれたものも印象深いものでした。長男一彦さんは父親のレコード蒐集の影響なのか音楽について驚異的な才能を持っていたが東京大学在学中に結核で死去。次女の松田瓊子さんは児童文学作家として将来を嘱望されていたが23歳の若さで腹膜炎で死去されているのです。子供達 について書く筆は慈愛に充ちていて、でも辛いからこれ以上は駆けない……という気持ちが出ているのです。ちなみに先のNHK連続テレビ小説『アンと花子』の主人公(のモデル)村岡花子さんは児童文学の後進の支援を惜しまなかった方ですが松田瓊子さんの才能を高く評価されていて本の序文を書いておられます。

 このように書き出したらきりがないくらい好きであったりするのですが、実は野村胡堂さんが昨年で逝去後五十年を迎えており著作権保護期間を終えていることに気がついていませんでした。青空文庫に『胡堂百話』を含めた一連の作品が上がっていることも気がついていませんでした。


図書カード:胡堂百話(青空文庫より)


 先日アマゾンで何の気なしに「胡堂百話」で検索したところいままで古本の情報しか表示されなかったのが Kindle 版が表示されたもので驚きました。値段は99円。


 表紙が中公文庫の落ち着いたデザインとかけ離れたものになっているのでそこだけ首を傾げましたがほぼ脊髄反射的に購入しました。青空文庫リーダーで読めば良いのでは……ということかもしれませんが、表紙はともかく中身はかつて私が読んでいた中公文庫と遜色無い縦書きで、これを99円で読めるのならば Kinlde で読めるようにして下さった出版社さんに御礼だと思えました。

 かつて私が所有していた中公文庫の表紙デザイン。アマゾンより、アフィリエイトあり

 それが ebook の本来目指すところではないにせよ、ロングテールというキーワードで語られている通り需要の少ないような本も読者の手に届くようにすることができる、ということは ebook という仕組みの可能性のひとつです。青空文庫で既に経験していたことですが改めてその恩恵を感じたところでした。

 このような例は他にもあって、例えば先日ヴェンセスラウ・デ・モラエスの『徳島の盆踊り』を再読したいとおもい本屋で講談社学術文庫の棚の前で三十分程探しまわるということがありました。この作品も優れた随筆集ですがやはり絶版になっています。

 講談社は「講談社メチエ&学術文庫」というアプリを出されていて、ダウンロードして試してみたのですがどうも読めるのは他の ebook サービスでも読めるようになっているような作品のようです。なんでこんないい作品を売らないのだろうか……単に自分の嗜好が偏っていてそれにつきあっていちゃ商売にならないからだ……と言われるのかもしれませんが。でも賞頼み、タイアップ頼みの商売で本当に先があるのか。本当に良い本だとおもっていれば、それを読者に届ける熱意というものが生まれるはずで、どこかに仕舞われているモラエスの本よりも今自分が読んでいる野村胡堂の方が良いものではないでしょうか。



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